本日、WOWOWで放送されたんで、見ました。昨年、ドラマ版は嵌って見てて、DVD−BOXまで買ったんですけど、映画は未見でした。
で、感想。

・・・・最初に見た物に肩入れしちゃってるんでね、どうしても。結局、映画では涙は零れなかった。泣けるのがいい、とは限らないけど。
でも、どうしても、ドラマ版のシーンが浮かんできちゃうんですね。あの、予告とかでバンバン流れてた、空港での「助けてください!!」のシーンも、私の中では、ドラマでの山田朔の、搾り出すような「・・・助けてください・・・!」が胸に迫る。結婚写真を撮るまでの流れも、ドラマ版の、朔のプロポーズ→朔「写真だけでも撮ろうよ」、それを知らない亜紀父が、朔父に結婚写真の撮影を頼む→亜紀から亜紀父へのカセットテープ・・・そして、家族・友達・先生皆で、一緒の写真を撮る。という、この流れが堪らなく好きなんです。
ドラマでの亜紀は空港に行くまでに、既に自分の”死”というものを受け入れていて、どう死ぬのか、どうすれば生きた証を残せるのか、それを一生懸命考えてた。だから、”自分の意思で”、ウルルに行きたい、と言ったんですよ。そこが映画版との違いかな。そして、だからこそ、10話の空港のシーン、亜紀が倒れて、朔が帰ろうと言った後の、亜紀の必死の「行く・・・!」「自分で歩くの・・・!」という言葉で、泣けるんですよ。
あとねえ、これは、私が山田朔と綾瀬亜紀に肩入れしてるからだろうけど、どうしても、長澤亜紀と森山朔が、お互いすっごく好き合ってるように見えなかった。これは、もしかしたら、映画版に違和感を感じた理由の一つかも。
それと、ドラマでは丁寧に描かれていた、朔の両親・亜紀の両親、友達、学校の先生、朔とおじいちゃんのつながり(映画ではしげじい)が、映画では描かれてないところも、違和感だった。ドラマオリジナルの役である、谷田部先生の存在が、やっぱりとてもドラマでは重要だったんだなあと。そして、亜紀の死後の、高校生朔の憔悴・苦悩ぶりが描かれていたのも、ドラマのポイントですよね。あと、緒方朔、やっぱり素晴らしいです。最後、高校のグランドに亜紀の骨を撒くときの、ナレーションが秀逸です。
映画の朔は、ウルルに亜紀の骨を撒くんですけど、それを、「後片付け」と言ったんですよ。それが、かなりのショックでしたね。後片付けって・・・そりゃないだろ、と。
ドラマでは、亜紀の骨を撒くこと=亜紀を忘れること、ではなく、亜紀(との思い出)と一緒に新たな人生を走り始めること、だったのが、とても感動でした。亜紀との思い出を大切にしながら・・・それはきっと、少しずつ忘れてしまうこともあるだろうけど、そうであることも理解し、それでも尚大切にしながら・・・新しく出会った、これから大切にしていきたい存在(小林亜季親子)と共に、人生を歩んでいく。そう決断した緒方朔は、とても清々しい顔をしていました。

・・・どうしても、ドラマ版がいいな〜と思ってしまうんですけど、映画版を否定してるわけではありません。最初に見た物が、自分の一番になってしまう、という、典型でしょうね〜〜。

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